タンデム自転車試乗レポート第2弾は、NPO活動法人サイクルボランティアジャパンの中西淳一さんのレポートです!
NPO活動法人サイクルボランティアジャパン
https://cvjapan.org/
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徳之島タンデムツーリング感想文:中西淳一:2025年11月14日
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1日目11月5日(水)
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早朝、奄美大島天候悪く伊丹空港戻るかもしれない条件付きで離陸を予定のアナウンス、この時点で野村さんなふらいとは定刻通りとなっているが、後に野村さんも同様に引き返し条件付きフライトとの事、地上案内の人に確認すると、3段階の一番低いレベルではあるがとの事、また佐多さんも鹿児島から徳之島に行く便が定刻通りとの事から、思い切って飛行機に乗ることにした。
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結果、途中で少し揺れたが無事到着、フライト中もwifiあったので、連絡は取り合ってた
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3時間後、野村さんも到着
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展子は雨
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中西、伊丹空港から奄美空港12時前
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野村、羽田空港から奄美空港15時(1時間遅れ)
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空港ジョイフルでランチ
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15時30分頃、佐多さんから、2人の無事徳之島上陸を祝ってくれるLINEのすぐ後に、タンデム開封しましたと一言。実はその時点までタンデム自転車がどこにあるのか?到着するのかが未確定で、ずっと運送会社とやり取りやって頂いた結果、この5日にやっと徳之島に上陸して、翌日以降配送予定だったらしく、それじゃ間に合わないからと、わざわざ運送会社さんまで引き取りに行ってくれたそうで、その話を後から伺い、ビックリするや、恐縮するや、何とか翌日からのタンデムライドに強引に間に合わせていただき、感謝感激。
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空港バスで約1時間かけて塩浜バス停迄移動、あと徒歩で約10分で、里さんの親戚の方が経営する、徳洲屋旅館に宿泊、素泊まりだったので、少し歩いて名瀬の街に少し雨が降ってはいたけど夕食処探しに行った。マツキヨでお酒、ツマミを買って、そこで預かってもらい更に街の中心地の居酒屋、呑みんちゅで、地のさかななど結構たくさん食べた。南の魚は大味と聞いていたけど、コリコリして脂がのってとても美味しかった。
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油ソーメン、夜光貝、赤うるめの刺身と骨は焼き、たまごおにぎり、焼き豆腐、
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次々とお客さんが訪れて、4歳の店のかわいい女の子が、お膳を引いてお手伝いしていたのが可愛かった
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食べ終わって旅館に戻り就寝
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2日目11月6日(木)
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朝5時30分出航のフェリーに乗るために4時30分過ぎに旅館を出た。
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フェリーは鹿児島を昨夜出てきた船が着岸、この後、徳之島を経て沖縄に向かいますが、こちらもまた5日時点で、天候不良の場合は徳之島には寄港せずに飛ばしていくとの条件付きでの乗船となった。これまた9時過ぎ着岸出来て、なんとか徳之島に上陸出来た。
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佐多さんと里さんのお姉さんが、わざわざお出迎えにお越し頂き、佐多さんの会社絆ファームの事務所迄、車で送っていただき、今回の走行コースや、食事の段取りなどを軽く打ち合わせ
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その後、タンデム2台が置かれる益田モーターズの益田さんとこに伺い、先ずはタンデム自転車のKHSミラノと言う、二台のうち大きな方を開封していった。ここのオーナー益田さんは85才?とのことだけど、見た感じ肌つやも良く、68才の私よりしわも少なくて、若く見え、話し方もずっと若く、ビックリした。既に大阪の自転車屋さんで、メーカーから送られてきた自転車を基本的な組み付けと調整はしていただいていたものの、イメージはそのまま箱に入れて運ばれているイメージだったけど、ハンドルやサドル、ペダルなどは、後から組まないといけず、厳重に包まれた包装紙やプチプチを慎重に剥がしながら組み立てていった。ラチェットタイプのネジが少し空回りするので、後日取り寄せて付け替えていただけようにお願いした。
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おそらく気温はかなり暑くなってきて27℃くらいはあったのではないだろうか?結構蚊にも好かれてしまったが、組み立ても終わりに近づいた頃、お店の裏側で、ランチの準備が終わりみんなで食べようとするところだった。店の裏はすぐ砂浜と言うか、ここは周りは珊瑚なので、砂の代わりに珊瑚や貝殻の浜辺で、水は綺麗だし、海の中は珊瑚の白さがずっと広がっていて、かつとっても涼しい風が吹いている中、里さんや里さんのお姉さん、里さんといつも大阪では心理学を学んでいる、私もいつもご一緒の阿戸さんも来られて、自転車組み立てを手伝ってもらったけど、あと、佐多さんの事務所絆ファームの方々や、益田モーターズの益田社長他、どなたがどなたか、よくわからず失礼ながら、10人くらいが、家で作った、油ゾーメン、たまごおにぎり、絆ファームで作られた、じゃがいも100%のコロッケ、あおさ天ぷら、夜光貝の刺身、焼き魚、小さな白黒のシマがあったのではクロダイの子供?、卵焼きなど、おなかいっぱい頂いた。最後には奄美空港でしか販売していない幻のチーズケーキ(一本4000円弱)いただいたが、すごくこってりで美味しかった(本土に帰るとき結局買って帰った)
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ちなみに帰宅したときの体重は2kg増えていた😅
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食事後いよいよタンデムツーリングに動き出したのは、もう14時頃だった。
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夕方にはサンセットビーチでの美味しい料理が待っているという、大きな目標があるので、そこそこアップダウンはあるものの、はやる気持ちを抑え切れずに、自然と足取りも軽くスピードもいい感じに走ることが出来た
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まずは、去年の暮れに出来た『道の駅』、そこには世界遺産センターもある。道の駅では島バナナ(かなり小さなバナナ)や、パパイヤ(結構大きくて重い)、コーヒーの木もあった
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次には金見岬のソテツトンネル。ソテツが両側からせり出していて、ずっとトンネルになっていて、あまり行くと迷子になってしまいそうだった。時間が足りないかも知れず、その先の展望台にはいかなかったが、そこからも、かなり見晴らしが良いらしい。ここは島の北東の端に位置する
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次は、そこからずっと西に走り、ムシロ瀬という、海岸に大きな岩がいっぱいあり、複雑に岩肌にある刀傷のような線が不規則に縦横に入って、いろいろな者の形に見える。亀やろうそく、女性の横顔などに見える岩もあった。ここは島の北西の端に位置する
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今度は南下して、尚子ロード(高橋尚子がオリンピックで金を取って、小出監督と二人三脚でトレーニングした場所とのこと)に立寄り、与名間ビーチ近くの一棟貸しの一軒家に到着、その後与名間ビーチのキャンプ場で、バーベキュー、柔らかで美味しい牛肉を焼いて食べ、刺身や夜光貝も出てきた。ここのオーナーさんは、小出監督や高橋尚子さんたちとも良く話したりしたそうで、德州会病院の理事長とも何でも話せる仲だったとのことで、この方も80代半ばだとのことだけど、メチャクチャお元気で、もちろん現役で先頭に立って動かれているとのこと。そこには藤野さんという大阪から徳之島に移住してきた藤野さんというトライアスロンをする人がやってきて、今プールで5km?泳いできたとのこと。スイムでは準優勝の記録を持つとのこと。彼は伊仙町役場で仕事をされているとのことで、その紹介なども佐多さんがされたのかなと思いますが、とても素敵で明るい方だった。
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宿に帰ると、里さんのお姉さんが、夜食の油ソーメンと、翌朝のおにぎり、漬物などを持ってきて頂き、翌朝には暖かな珈琲まで持ってきて頂き、もう大感謝
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この日は確かスーパームーンの日か何かで、見えた月はとてもまぶしかった。
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こちらの天候は、天気予報も追いつけないくらい、急変するが、夜中から朝にかけて、断続的に大雨にあんるときもあった。天気予報では完全の晴れが、一瞬で変わるのは、翌日も同じだった。適度な疲れも満腹感と、ゆったりお風呂で癒やされてぐっすりと眠れた。
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3日目11月7日(金)
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昨日の天気予報では、完全な晴天だったはずが、夜中の2時頃から、バタバタバタと大粒の雨が屋根を叩く音で目が覚めた。まさかと天気図を見たら雨雲が点在、朝になればと軽く思っていたが、朝7時頃でも、雨雲がひっきりなしに過ぎていくので、もう少し待ってみようかと思っていたら、また里さんのお姉さんが暖かいコーヒーを持ってきてくれて、いろいろ話がはずんでいるあいだに、雨も止んだので、この日の行程は一番長く80kmくらいながら寄るところも多くアップダウンもあなりある予測だったので、出かけることにした。
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あず目指したのが、宿(北西に位置する)を南下『犬の門蓋』と書いて、何と、「いんのじょうふた」と呼ぶ、かつて大飢饉があった際、人畜を襲った犬の群れを捕らえて、ここから海に投げ入れたことに由来している。ここには高い展望台があり、いろいろな岸壁が見られ、めがね岩と呼ばれる2つの大きな穴から向こうの海が見える。観音様が安全祈願していたり、その南側には高さ10m以上の断崖絶壁も見えた。
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次ぎに向かったのは、更に南下して『犬田布岬』ここにも会談を登っていく展望台がある。ここの岸壁には何か荘厳な感じのする背の高いモニュメントがあり、その下の表示盤には、戦艦大和の慰霊塔で、乗員の名前書かれているそうで、入口には、鎮魂歌である『ああ犬田布岬』の歌詞と、遺族の言葉がそえられていた。
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また次ぎも急がねばと帰ろうとしたとき、何といきなり振りだし、スコールのようなきつい雨、慌てて、屋根のある事務所裏に移動して、一緒に距離を置きながら、要所で待っていてくれる佐多さんに連絡しようとしたら、何と電波が全く入らない。入らないので天気図も見れず、ただただ止むまで待っていないといけなかった。これは大和の乗組員が、急がずにゆっくりと安全に進んでいけとのために、そこに留まらせたのだろうか、先ほど通じていたのに、雨と共に電波が途絶えた。ただ今回のツアーは、この島には、里さんと佐多さん、そして、彼女達の親戚や、多くの関係者がたくさんいてくれるので、何の心配もしなくても良いので、とっても心穏やかに待つことも、過ごすことも、走ることもできたのは、過去のツーリングとは全く異なる心地よさだった
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そうこうしているうちに、ほとんど上がったので、次ぎの予定は、300年のガジュマルだったけど、確か事前に自宅で確認したときは、かなり急な坂だったので、時間もあるから、そこを飛ばして、その次の百彩というこの町の生産物を買える場所で、徳之島で育てたコーヒーが売っているのは、ここだけとも聞いていたので、その境界線を目指して走りだしたら、またスコールのような雨が降り出して、近くのバス停みたいなところで、屋根のアルところがあったので、また雨宿りをしばらくした。
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佐多さんに、時間もあるから、300年のガジュマル飛ばして百彩に行きましょうかと打診を入れていたら、しばらくしてピロロンとLINEへの返信音がなった
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回答はひと言、ガジュマル見てから百彩に来て下さい。
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そうだね、時間もあるから百彩に直接来て下さいとの返信を完全に期待していたのに、えっと思わず声が出てしまった。これがいくつもの会社を経営して、何度も危機を乗り越えてきた経営者の暖かいお言葉かと、その意外性と試練への挑戦をサラッと指示してくるところは、今から思えばさすがと思うが、正直、そのときは鬼!と思った(^_^)
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県道からの入り口は、Googleマップでの軌跡とはズレていたのか、県道の目の前が急なのぼり、ガジュマルは側道に入るが、2本の側道のどちらも、これまた登り、行ったり来たりして、しばらく走って、ようやくマップの軌跡に乗っかり、今回一番きついかもしれない登りを登ると、あまり大体的に宣伝はしていないが、大きな木の根っこが、つるのようになって、複雑に絡み合いながら、伸びている、その脇には人が住んでいるのか不明な家が一軒、周りはブロックに囲まれ、全体もうっそうとした木々に囲まれて、かなり不気味な感じだった。夜だと絶対行けない怖さだった
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さて次はようやく百彩だけど、登ってきた急坂を下ると、またおそらく一番くらいきつい登りになるのは明白だったので、下り途中で県道と並行していて、ある程度高度を維持出来る道がありそうなので、そちらに迂回していくことにした。途中いくつかも橋を渡ったが、かないしたに見える谷とは、かなり100m以上の高低差があったようなイメージだった。そして百彩に着くと、既に佐多さんと、今回いろいろ運転や宿泊場所への案内、徳之島の素敵なところや黒ウサギの出没地などを案内してくれた栄元さんが待っていてくれた
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到着は14時前で、早速屋外のテーブルでランチ、私は「島豚のパン粉焼きマスタードソース定食、野村さんは、島豚丼、お二人は、なり味噌煮込みうどん
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調べてみると、「なり味噌」は、ソテツの種子(奄美方言で「ナリ」と呼びます)から取ったデンプンに、玄米や大豆などを加えて作られる伝統的な味噌です。長寿の島として知られる奄美地方の食生活を支えてきた食材の一つで、独特の風味がありますとのこと、次回食べてみたい
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そのあと、島ではここでしか販売していない、徳之島コーヒー、もうすでに店頭には売り切れてなかったが、徳之島で育成している珈琲の木が、店内にディスプレイされていた
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食後にはここでしか飲めない、徳之島珈琲が飲めるとこに行こうとのことで、少し先にある伊仙町役場の休憩室に珈琲サーバーがあり1杯500円だが、機械清掃中でそこで30分ほど待ち、やっと飲むことが出来た。元来焙煎を深煎り寄りにしており、コクと濃さ、香りが良く、あまりクセの無いスペシャルティ系の珈琲かと感じた。奥にはあまり見たことが無い、1kgほど焙煎できる機械があり、焙煎時は燻した煙がたくさん出るので、外で焙煎するんだろうと思う
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ここの珈琲はティピカとブルボンの、どちらもアラビカ種になる。ここで販売しているドリップ珈琲はその30%以上を徳之島珈琲を使っており、まだまだ出来高が少ないので、ブラジル、コロンビア豆とのブレンドで補っている
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役場にあった珈琲は100%徳之島産かな?珈琲の木はほぼ赤道直下の高地で栽培されることが多いが、それは気温が低くなる分害虫が少なくなる、またじっくり成熟してくれるなどの利点が多い
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また、珈琲の木は風に弱く、珈琲の木を守るための防風林みたいな周りから包み込む環境が必要だが、ここの農園ではセンネンボクが使われているとのこと
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今回走ってきた行程で、犬田布岬の駐車場の端に、コーヒーと書かれていて、ちょっと寄って飲んでみたいとは思いながらも先を急がないとと思い、寄らなかったが、今調べると、ここが唯一の徳之島珈琲を飲ませてくれる喫茶店のようだった。残念、次回は是非寄って見たい。
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役場で珈琲を待っている間に、佐多さんが先ほどの百彩に電話して、少し前に取り置きしてくれていた、徳之島珈琲のドリップパックがあるとのことで、私と野村さんはお願いすると、店長みずからが役場まで届けてくれた。佐多さんの人脈の広さと深さに脱帽、感謝
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出来たてほやほやの役場はまだ次期工期も控えているところのようだが、外に出てみたら、何とハブの捕獲子屋があり、全面ガラス張りで厳重に鍵がかかっているが、そこに専用箱に入れられてきた直径5cmは超えそうな大きなハブをハブ専用はさみで掴んで、入れたところだった。人がガラス越しに顔を近づけると、180度縦に広がる大きな口で飛びついてきて、思わずよけぞってしまった。3回ほど攻撃してきた。ここではハブを生け捕りすると1匹3000円で買い取ってくれる、そのための道具や箱も各家庭に1個くらいは買ってもっているとのこと。胴回りの縞模様が不気味だった
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そこで雨も続きそうだったので、どうする?と聞かれて、野村さんはまだ走り足らなかったかと思うけど、時間も3時半を回ってきたので、母間まで変えるのは難しく、お願いして軽トラを呼んでもらって、そのあとは栄元さんの運転で、観光しながら母間へむかった
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そしてどうしても見たかった、国産珈琲豆の木を見につれて頂いた。どこをどう曲がって行ったのか?周りはサトウキビ畑なので、おそらく道を教えてもらってもなかなか行けないが、そんな高くないけど、奥に入っていった先に、徳之島第2実証農場、味の素AGF。管理者コーヒー生産者会。伊仙町役場 経済課と書かれた看板がかけてあった
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そこに車で入り込んでいくと、かなり広めの間隔でコーヒーの木が植えられ、その周りにはセンネンボクの細長い木が植えられていた。伸びすぎたので、伐採したところだという。整然と並んだコーヒーの木は、ちょうど身の丈くらいの高さで、ここに出来るチェリーと呼ばれる実は、熟して赤くなったものから1つずつ人が摘んでいく作業となるため、高くならないように育成しているようだ
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現時点ではまだ緑色で12月に入ると赤くなってきて収穫が始まるという。私が実を取って仲を開けるとまだその中にタネなのか実なのかが出来ている状況ではなく、かじってもまだ苦い木の実のような味だったが、栄元さんは器用に、周りの薄皮を剥がしてくれたのを見たら。チェリーの中に、何か芯のような者が出来るのではなく、薄皮の中に、生豆として見るような半月状の豆が、2つ向き合って、1つのチェリーが出来上がっていることも初めて知った。生豆はまだ乾燥前だからか、意外に大きく感じられ、焙煎後にみるような形を既にしているのに驚いた
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これをウオッシュドで洗ったり、乾燥させたり、熟成させたりして生豆が出来る。実はたくさんできているものの、収穫は手摘みなので、大変な労働力だと思う。近年気候変動などで全世界的に珈琲豆の収穫量は極減しており、市場価格も急騰を続けているので、環境問題は深刻な状況にあるのが、その状況下からも伺える
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次には、これまた見たかった闘牛場、徳之島には大きな3つの闘牛場があり、そのうち一番大きくて屋根のあるドーム型に闘牛場は、ここ伊仙町にあり、今はやっていないが、いつでも中を見学できる。円形で真ん中に土が入った闘牛場、周りは階段状になった観客席で、ここで皆が応援するのだという、本当に好きな人は本土からもやってくるらしい。太くてそんなに長くはない角で、ガチンコ勝負をし、逃げた時点で負けが判明するという。賞金とかはあるのかないのか、島の男達の趣味だというが、育てるのは大変だろうと思ってしまう。
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そんな闘牛の目に惚れて、徳之島の闘牛士の元に嫁いできた女性もいらっしゃるとか、確かに目はかわいいけど、闘争心を試合の時にピークまで持っていくとか、駆け引きなどもいろいろ有るんだろうと思った。
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町を走っていると、あちこちに牛を飼っているところがあるが、そのうち角のあるのが闘牛用に育成し、無いのが生産牛で、小牛として育成し、全国に売られていく、その土地で何年か育てると、晴れてそこが原産地として承認されるらしく、神戸に行けば神戸牛、松阪に行けば松阪牛らしい
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その後はゴリラ岩を見て、今や日本全国にある德州会病院の総本家とも言える、徳之島德州会の新しく建て替えられた病院が、まさにオープン仕立てで、亀德中心部から小高い場所に上から見ると楕円形に出来た、駐車場も広々として、とても景色の良い場所に作られたようだ。この病院は24時間オープンさせた一番最初の病院でもあるらしく今でもその営業スタイルが変わっていないようで、長寿の島にふさわしいのかなと感じた
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そのあとは、今や絶滅危惧種として奄美大島と徳之島にしか生息していない黒ウサギの居る場所を、あちこち車でしずかに追いかけて頂いた。雨も降り天気もよくなかったのと、元来夜行性ということもあり、なかなか見れなかったが、最後に庭から家の軒先に小さく移動してすぐに隠れてしまったが、一瞬黒ウサギを見ることが出来た
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世界遺産センターにも剥製は模型が飾ってあった黒ウサギ、耳は短く小柄で、網に引っかかって助けてあげるとき触れてみた感触は毛並みが固くてゴツゴツとして、くさかったかなと、イメージとは少し異なるも、うまく繁殖して戻ってくれることを祈りたい
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どこかに書いてあったが、ハブを退治するためにマングースを放ったら、そのマングースが黒ウサギをも捕まえてしまい急減したとの話もあった
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そしていよいよ母間に戻り、佐多さん経営の絆ファームが管理する、母間本家一棟貸しの宿にたどり着く。この家は海辺に近いながら100年以上も、持っているという、通し柱のような直径30cmもありそうな木を横に四方を散り囲むように釘無しで組み込まれ、同じ太さの木を床にも四方組まれているとのことで、ほとんど手を加えずに現状維持が出来ているとのこと、そしてこの宿のもう一つの特徴として、五右衛門風呂が今でも使えるとのこと
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もう薪はくべないが蛇口からお湯を入れるけど、鉄釜がいつまでも温もりを維持してくれる。廊下には火鉢もあり、そのまま灰が残っていて、使う事も出来そうだ
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そして少し休んで、お楽しみの亀德中心街にある居酒屋さんへ(名前忘れてしまいました)。ここでは、絆ファームを任されている、こうさん(?)や、里さんのお姉さん、そして今後タンデム自転車のレンタル事業を手伝っていただく予定のマサキさん(?)と、佐多さんの昔からの親友の方も交えて和気藹々と美味しい料理と、黒糖焼酎で楽しい時をすごさせていただいた
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島豆腐、少し高野豆腐のように固めで、味が良くしみている。次は豚足ならぬ、豚のヒジの部分らしいが、油がすごく載って、骨が大きく簡単に剥がれて、小骨が全く無いので、がっつりたべれておいしかった。髄もしっかり食べれるので、おそらく寒いところでも食べたら、身体が暖まるだろうなあと感じた
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ゴウヤチャンプルは、こちらのゴーヤは全く苦みが無いのに驚く。そしてチジミもこちらではよく食べるらしい。のりで巻くのは韓国と同じだ。そして最後には肉鍋?四角い鍋の底には野菜がたっぷり入って、中央にスライスした牛肉が何重にも重ねてある、火を通していき、しゃぶしゃぶ風にして食べていくと、最後には肉のだしで野菜が美味しい。よく似た料理は佐多さんの大阪の会社近くの摂津市にもあり、そこではメニューに載っていないらしいけど、よく似た感じの料理だ
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宴もたけなわ、楽しい話をいっぱいして、おそらく、まさきさんと、佐多さんのお友達は久々らしく、たぶん二次会に行かれただろうけど、私たちは宿に戻った
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そこでゆったりと五右衛門風呂に入り、古民家でゆったりとした時間を迎えて積もる話をしているうちに、いつの間にか眠りに入った
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4日目11月8日(土)
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この日の朝はとても天気が良く、野村さんと海岸を散歩に出かけた。そこで、マサキさん(?タンデムレンタル事業をしてくれる方)と出会い、彼がこの近くに家があるとのことを知った。海岸では砂浜ではなく珊瑚礁の浜になっていて、いろいろな貝殻で敷き詰められていた
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この日は山(セン)という漁港で、第4回オープンウォータースイミング徳之島大会が開催、この日は10kmコースで、本来は防波堤を越えての遠泳だったが、並みが高く、堤防内を1周500mを20周という大会となり、日本チャンピオンが参加していたり、3位以内だと全国大会参加資格あるとのことで、かなりのデッドヒートだった。公認コースとなったのは昨年からとのこと。マラソンや自転車と同様、ドラフティングと呼ばれるように、水や風の抵抗を減らして楽な状況で泳ぐこともできるらしい
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また、水分補給や食糧捕球も、岸壁から網の先にボトルなどを入れて手渡し、選手は時間ロスを減らすため、仰向けになり一瞬で飲み込んで、また泳ぎだす。上手な選手は、息継ぎの間も頭の高さがあまり変わらず常に前に進んでいるけど、そうで無い選手は、頭の位置が上下し、前に進む力が弱まっていくのがよくわかる。ちなみに翌日の3kmレースでは藤野さんが2位受賞したとの連絡ももらった
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そしてランチは東にある山漁港とは反対の西側にある空港レストランで、鶏飯を食べようと思うが、自転車で行く?とまた佐多さんがやさしく言ってくれたが、よく考えると、自転車なので、行ったら帰ってこないと行けないことや、そんなに急ではないにしろ小さな山越えを往復しないといけないので、間髪入れず車でお願いします!と即答してしまった
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私と野村さんは、レースが終わる前に先に自転車を置いておく益田モーターズまで先に戻ることにしたが、この坂も結構行きより帰りの方が急で辛かったが、登り切ったら下りで、すぐに着いたが暑かったので、少し通り過ぎて絆ファーム向かいのお店でアイスクリーム買って食べてから、戻った
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もう一台のタンデム自転車のT20が組立て途中だったので、残りを仕上げて、周りを試走してみたが、ハンドルが異常に軽すぎるような感じがした。調整はしたが、大阪で乗っているものよりは、軽く感じるのは、一人で乗ったからなのか、3日間走ったミラノという車種のあと小径車であるT20だったからなのか、しっかりハンドルを持っていれば大丈夫だけど、少し走ってみて調整していけたらいいのかなと感じた。
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しばらくして佐多さん、栄元さんが見えて、車で飛行場まで行き、鶏飯をいただきました。鳥、タマゴ、板海苔、ネギ、椎茸などを載せた丼の上から出汁をかけて食べる料理。出汁を掛ける料理は、仕事の忙しいときに駆け込んでパッと食べれるのが良いと聞いたことがあるが、期限はしらないけど、ひつまぶしの最後に出汁を掛けてたべたりするイメージで美味しかった
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そして、また来た道を東に戻り、母間本家に戻った。そうだ、昨晩は少し二人とも酔っ払っていたので、風呂は翌日にゆっくり入ろうとしていたので、このタイミングで五右衛門風呂に入り、ゆったり、まったりして入り、ゆっくりと荷造りして16時頃迎えに栄元が迎えに来ていただき、途中絆ファームでは職員皆さんがお出迎えいただき、、ここで作っている黒糖ドーナツ7個入りと、ハイビスカスのお茶などをいただき、17時発のフェリーで亀德港を後にした、今度は佐多さんと栄元さんが見送ってくれて、本当に名残惜しく、もっと居たかったと身体全体で感じた瞬間だった。タラップを昇る、その足がとても重く感じたのを今も覚えている
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Alineのフェリーは定刻に出航、一路奄美大島の名瀬港に戻っていった。帰りは船内のレストランを考えていたが、出航30分間でレストランの営業は終わってしまうので、早く注文した。あじフライ定食だったが、柔らかくて美味しかった。そのあと、コーヒーも販売とのアナウンスで探すも分からず、売店で聞いたら、フロントで販売しているとのことで、フロントに回ると、売店の店員さんも、そちらに移動して、入れてくれた。
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到着は21時コロナので、甘みに着いたら、また行った店に行こうかとも思ったけど、船内でコーヒーだけ買って、おとなしく旅館に帰ることにした。
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もう風呂は数時間前に五右衛門風呂に入っていたので、冷蔵庫にあったビールと、行きの時置いていったお菓子をあてに、しばらくいろいろな思い出を思い出しながら野村さんと話しながら、いつの間にか寝ていた。私たちは東京と大阪にいて、毎週土曜の夜9時から、音声のオンライン部屋であるClubhouseというのを、もう5−6年継続していたので、少しだけスイッチを入れたけど、誰も来ないようなので、すぐに閉じて寝ることにした
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5日目11月9日(日)
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朝から昨日もらった、絆ファームで作られた黒糖ドーナツをよばれ、しっとりとして美味しく、ドーナツによくあるパサパサ感は全く無かった、一気に全部食べてしまった
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この日は朝から日差しもきつくて、まぶしくかったが、またバスに乗って奄美空港を目指した。空港では出発の12時半までは少し時間があるので、ジョイフルで軽く、肉うどん食べて、土産物を見て回った。
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野村さんは会社用に黒ウサギの絵が描いてあるクッキーをたくさん買っていた。私は来るとき時間が合ったので、黒砂糖のお菓子などいくつか買って道中食べて美味しかったのを、またいくつか買おうかと思ったけど、後で後悔したくないので、徳之島初日にいただいた例のチーズケーキだけを高いけど買って帰った。20歳代の若者が作っているケーキとのことで、更に高級なパッションケーキというのもあったけど、まずは同じチーズケーキにした。帰宅後は家族が喜んで美味しいと言って一瞬でなくなった。
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私は伊丹空港で下り、帰宅、野村さんは約40分後の羽田行きに乗り継いで無事帰宅して、この旅は無事、多くの方々、特に佐多さん、里さんには、お二人の家族や会社の方々、そして島の多くの方々に助けられて、こんなに充実したタンデムツアーは、初めての経験で、とても印象に残った。
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あとがき
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何日かに分けて感想文を記憶の元に辿って書きました。人は学習したことを一日後には60%忘れてしまうものだと言われていますが、今回の旅の記録を数日掛けて書いてみましたが、その風景が目の前によみがえってきて、鮮明に画像として、その体験が刻み込まれているように感じています。
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またここまでお世話になりながらも、同時並行で連携を取り合って実行され、『パラスポーツの聖地に』という私達の目標も3町の役場を含めた関係機関の準備委員会も発足し、大きな一歩を踏み出す事ができました。との事も進められていることもすごいと思いました
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3つの町と言っても、1つの町の中には、それぞれの集落が、かなりの離れた距離に点在しており、各町に性格なども当然異なっているだろうから、どこに行っても、そこの責任者とも親しく話されているのがとてもスゴイと感じました。
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感じたのは徳之島の人達、奄美大島は少しでしたがこちらも、とてもフレンドリーで親しみやすい方が多く、人にやさしいという印象を強く受けました。もちろん佐多さん、里さんお二人の関係の方にたくさんお世話になったこともありますが、他の方々でも、誰にも気負うことなく、よそ者扱いをする事もなく接していただいたと感じます。野村さんとは全国旅行していますが、よそ者とは距離を置く、厳しく接する、という感じもあったかと思うのですが、今回はどなたも親切に応対いただけたのは、トライアスロンで全国各地からも見えるでしょうし、両島世界遺産ということもあり、海外からの旅行者や参加者もどんどん増えているからなのかと感じました。
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また徳之島では、観光場所などが新しい建物(世界遺産センター、伊仙町役場、戦艦大和の慰霊塔、道の駅など)が作られ、整備されている状況。トライアスロンや、昨年からはオープンウォータースイミングの公認コース認定されたことなど。また一方では闘牛会場の整備、サーフィン、おそらくダイビングスポットなどもあるでしょうし、今回タンデム自転車でのレンタサイクル事業として、全国一番に開業していくことへの一歩を踏み出されたことなど。新しいことにも臆せずに果敢に挑戦して行かれる気質も強そうな印象が強かったです。
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とかく島だと伝統、しきたりを重視するあまり、若い人が消えていく反面、島の施設や慣習も老朽化して、限界集落から過疎集落、更には消滅集落化していくところが、島に限らず日本全国に置き筒つつある中、東京や大阪から移住して、仕事をこなしながら、自分の夢を叶えていく、コーヒー農園もそう移ります。
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人は何か新しいことにチャレンジすることで、ウキウキしたりワクワクしたりします。その段階では良い意味でも、そうでない場合でもドキドキしますが、その新旧混在が、この島の原動力となり、長寿の島とも言われるゆえんなのでしょうか。
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これからも多少なりとも、何かのお役になってたり、また遊びに島にいったり出来たらいいなあとおもいつつ、長い感想文を終えたいと思います。
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皆様本当にありがとうございました、そしてまた、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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