パラスポーツをきっかけに
誰一人取り残さない、多様性のある社会へ
私たちは障がい者のトライアスロンで感動的な光景を見ました。障がい者の選手とその選手をガイドする健常者が、共にゴールテープを切り、互いが喜び合っている姿です。
スポーツの世界では障がい者と健常者が分けられていることが多いですが、スポーツを楽しみ、達成感を味わい、信頼し合い、喜び合うことに障がい者と健常者を区別する必要が無く、むしろ障がい者スポーツで共有し合えることを目の当たりにしました。
私たちは障がい者スポーツを通じて、障がい者と健常者が共に信頼し感動し合える社会を作りたいと考え、このNPO法人を設立しました。
障がい者と健常者が分け隔てなく共存できる社会を実現していくことが、今後の日本の社会や経済にも大きな成長をもたらしていくと、私たちは考えています。国際目標である持続可能な開発目標「SDGs」にも積極的に取り組み、多様性のある社会を目指します。
障がい者スポーツを支える
「パラサポーター」を支援したい
パラスポーツに欠かせないのが「パラスポーツサポーター」の存在です。ハンデや障がいを持ちながらスポーツを行うには、多くの場合、付き添いや補助などのサポートをするサポーターが必要不可欠であり、その拡充と環境整備は非常に重要といえます。
実はこのパラスポーツサポーターの活動は、現在ほぼ全てがボランティアや有志の活動として行われており、大会などへの出場やふだんの練習時の帯同にかかる旅費や経費なども、サポーターの自腹というケースが大半です。サポートを受ける障がい者側が一部負担はするものの、全てを個人で賄うには限界があるのが現実です。
こういった状況を少しでも変えたいと立ち上げたのが、当団体です。(2019年4月設立 理事長 朝野由貴)
理事長 朝野由貴
理事長の朝野は、自身も障がい2級の脚の障がいを持ちながら、全国障がい者スポーツ大会の水泳各部門で3年連続優勝の実績を持ち、また各地のパラトライアスロン大会で1位入賞を果たす超一級のパラアスリートです。
健常者であった朝野は、仕事上の事故で障がいを負いました。その後の過酷なリハビリを乗り越え、スポーツを始めることで、また新たな自分自身の可能性に挑戦してきました。そんな自身の経験から、サポーターの重要性を人一倍理解している存在でもあるのです。
朝野本人は企業に正社員として勤務しているため比較的経済的に恵まれた環境でしたが、周囲で見聞きするパラアスリートやサポーターたちのケースでは個人の負担が大きくなることがほどんどでした。海外の有償ボランティアの充実などと比較して、日本でボランティアといえば、最低限かかる経費のことですら、なかなか率直な論議ができないことに課題を感じ、本NPOの立上げに携わることとなりました。
理事として朝野を支える佐多はつみは、大阪府摂津市にある金属加工業の株式会社カネタを営んでいます。冒頭のトライアスロンの島・徳之島出身である佐多は、鉄工所を営む従妹から応援要請を受け、バブル崩壊後の時期に同社の立て直しを図りました。その後経営を引き継ぎ、現在は30名以上の社員を抱える会社にまで成長。顧客の要望に応える現場重視の姿勢は、取引先からも高く評価されています。
社長業を引き継いだ佐多のライフワークのひとつが、故郷徳之島と大阪を結び、ハンデや障がいを持つ人の社会参加の機会を作ることでした。実際にその「場」を創ろうと、私財を投じ「一般社団法人あまみ徳之島ライフサポート」を立ち上げ、現在大阪と徳之島で以下の三つの施設を運営しています。
大阪の町工場を中心に、「健常者」「障がい者」「支援学級生」が、働く・学ぶ・協力する場所を共有し、小さいけれど確かなつながりの輪となり、絆を育んできました。その作業所のスタッフが、偶然、徳之島トライアスロンに出場する視覚障がい者と知り合ったことから、佐多はパラスポーツサポーターの存在と現状を知りました。障がい者のスポーツサポート活動で、なにかできることはないかと模索していたところ、朝野との縁がありNPO発足に携わりました。
事務局長 中島実
私は障害者の方々と距離の有る存在感でした。正直、意識をしていなかったと言うか目を向ける事が無かったのだと思います。健常者として日常の生活を普通だと思い何気なく日々を過ごしていました。
しかし、あの日の一本の電話で普通が崩れ自分が出来る事、知ってる事の少なさに気付かされました。救急隊の方から「息子さんがバイクで事故を起こし病院へ運びます」。
病院の先生から怪我の状況の説明があり鎖骨、背骨の骨折、内臓に損傷。夜中の事だったので詳しく検査をする必要が有るとの事でした。
その時は背骨の骨折で息子はこれから今まで生活していた普通の状態に戻るのか?が真っ先に頭を過ぎりました。
翌朝、息子の状態が急変し緊急手術となり開腹すると肝臓の二ヶ所が大きく損傷していた為三日間お腹を開いた状態で圧迫止血を行い奇跡的に出血が止まりお腹を閉じる事が出来ました。そこから3週間後に意識が戻り約半年後に退院する事が出来ました。
普通の生活どころか生死を彷徨った息子でした。本当に色々な奇跡により息子の今は普通に運動が出来る身体に戻り結婚もしました。最初に病院で聞いた骨折は先天的に骨に筋があった為で結果的に骨折は無かったのです。
この体験により障害者に対する意識、距離が縮まり現在のPSSでの活動に繋がっています。まだまだ私は活動していると言えない程知識が無いのですがパラスポーツを通じ色んな事を教えて頂きながら少しでもサポートが出来ればと考えています。